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系統識別號 U0002-2907202014421700
中文論文名稱 荻生徂徠學說之“道"的功利性思想研究--與陳亮的事功學說的比較為中心
英文論文名稱 The utilitarianism of Ogyu Sorai’s “Michi” By comparering with ChenLiang’s theory
第三語言論文名稱 徂徠学の「道」における功利主義思想とその展開——陳亮の事功学説との比較を中心に——
校院名稱 淡江大學
系所名稱(中) 日本語文學系碩士班
系所名稱(英) Department of Japanese
學年度 108
學期 2
出版年 109
研究生中文姓名 黃豪
研究生英文姓名 Hao Huang
學號 605104016
學位類別 碩士
語文別 日文
口試日期 2020-07-01
論文頁數 77頁
口試委員 指導教授-劉長輝
委員-馬耀輝
委員-田世民
委員-劉長輝
中文關鍵字 陳亮  荻生徂徠  朱子學  理學  先王之道  天理人欲  王道  霸道  公私觀 
英文關鍵字 ChenLiang  OgyuSorai  Michi  utilitarianism  public-private view  justice  human’desire  kingly way  Zhu Xi’s theory 
第三語言關鍵字 陳亮  荻生徂徠  朱子学  理学  功利主義  先王の道  礼楽  公私観  天理人欲  王道  覇道  徳治主義  法治主義 
學科別分類
中文摘要 在注重人的道德以及心性之修養的理學漸漸成為主流的背景之下,宋朝的陳亮與葉適等儒學之功利派對此發起了批判。他們主張相較於個人的道德修養,政治上的作為更應受到重視。同時為了改變當時朝廷內憂外患的情況,他們認為應該重新改革原有的禮樂制度以滿足當時社會現狀。
同樣地,在日本的江戶幕府時期,強調心性修養的朱子學開始為人們所重視。對此,古學學者荻生徂徠對只關心學問本身而忽略了整治作為的理學者們發起了詰難。首先,他經歷了從家綱将軍的延宝年間至綱吉将軍的天和年間之幕府治下頗有成果之時期,同時也見到了之後的衰世。因此他提倡儒學應該復古,即回歸到“先王之治下",同時用古文辭去理解,去探究他們所留下的“先王之道",而非如朱子學一般只關注觀念上的“道"。此外,從其重視政治作為而非個人的道德修養,以及依據現狀整合禮樂制度之主張,可以窺見其功利性經世論之一斑。
總之,儘管時代和地域並不盡相同,但是陳亮和徂徠對理學的批判,對禮樂的重視,以及主張制度改革的必要性上的一致並非偶然。因此本論文,通過考察兩者的學說,在理想主義為主流的朱子學下,以現實主義為中心的他們是如何闡述其理想中的“治",並以此窺見其學說中功利性的思想。同時,本論文的目的還在於,位於 “道統"德治主義精神的理學的對立面,儒學功利派是如何從法治主義的角度闡述學說,同時釐清其學說對解決現實問題之功效。
因此,本文通過探究徂徠和陳亮學說之核心概念“道",即釐清從個人作為的動機出發,途徑公與私,天理人欲等價值導向之概念,最終歸於政治上的成果(王道與霸道),即一條由個人作為通往安天下之內聖外王之道。藉此來清晰地考察陳亮與徂徠學說中,有別於理學以及傳統儒學,具有各自特性的功利思想。
英文摘要 When Neo-Confucianism (Zhu Zixue) flourished, it was Chen Liang and Ye Shi and other utilitarian Confucian scholars who first questioned the scholars of the Song Dynasty. Similarly, during the Edo Shogunate period in Japan, ‘Zhu Zixue’, who emphasized the cultivation of mind, began to be valued. In response to this, the scholar of the ancient school Ogyu Sorai advocated that Confucianism should be retro, that is, compared to ‘Zhu Zixue’, who is stuck to the nature of heaven and earth. ‘Michi’, that is, the spirit of ritual music and the cultural relics of the feudal system, is used in the present to achieve the ultimate goal of ‘flat world’.
Therefore, this article explores the core concepts of Sorai and Chen Liang's doctrines, namely, clarifying the concept of value-orientation based on the motive of individual actions, through public and private, heavenly and human desires, and ultimately attributed to political achievements (kingdom and hegemony) ), that is, a path from the individual to the inner saint and the outer king. In this way, we can clearly investigate the unique utilitarian thoughts of Chen Liang and the Lai Doctrine, which are different from Neo-Confucianism and traditional Confucianism.
第三語言摘要 人間の修養と「心」や「性」の鍛錬を重んずる理学が主流となりつつあった背景の下で、宋代の陳亮と葉適など儒学功利派の学者らは、このような理学を批判し、当時の国家の内部及び外部のそれぞれの問題を解決するために、道徳よりも政治を重視すべきだとし、現状によって礼樂と制度を整える必要があると主張している。
同じく、日本の場合には、江戸時代に入って、「朱子学」が重視され、当時、政治の「作為」ではなく、学問だけに専念する儒学者に対して、非難するのは荻生徂徠だ った。彼は将軍家綱の末年の延宝年間から、将軍綱吉の初年の天和年間までのよき時期を経歴し、また、それ以後の世道の衰退を見ていた。故に、「先王の治下」への帰復を求めようとし、今の幕府統治における様々な問題を政治の手段で解決するために、徂徠は、古典文辞の研究に基づき、「道」は観念的なのもではないと主張し、朱子学を虚妄の説と批判する。また、彼の学説の中では、道徳よりも政治を重視すべきだと
し、現状によって礼樂と制度を整える必要があるとするところから、その功利的な経世論の一斑がみえる。
日本江戸時代の徂徠と中国宋朝の陳亮は、その各々の生きる時代と地域が違うが、両者の、朱子学に対する批判、また礼樂への重視、制度の改革による経世論が酷似していることは決して偶然ではなかろう。そこで、本稿では、両者の学説を通して、理想主義的な朱子学の道学化が主流となりつつあった背景の下で、現実主義を中心と
し、彼らの理想的な「治」を実現する功利的な思想がどのように発展していったかを探究したい。また儒学発展の流れの中で、「道統」を代表する徳治主義を重んずる理学の反対側に、法治主義に傾き、現実問題に応じて形成された儒学の功利派はどのように発展し、その学説が現実問題の解決に対してどのような役に立っているのかを明らかにさせるのが本稿の目的である。
また、本稿では、陳亮と徂徠の学説の中核を成す「道」という概念への考察を通して、その「道」は、人間の作為の動機である「情」と「心」が出発点となり、「公と私」、「天理と人欲」など儒教の伝統的な対概念を転覆して「公法」と「礼楽」を人間のあらゆる場面の準則とし、そして「公法」と「礼楽」の普及と実践を通して「王道」が叶えるべき「道」の終端と規定するという結論が導出されるに至った。
このように、儒学の伝統的な徳治主義から法治主義に傾き、学問の中心が「自然の道」から人のやるべき「作為の道」へと移行し、そして自然法と実定法との両方が混淆している「先王の道」を明らかにした上で、伝統的な儒学における「修斉治平」の「道」に比べれば、徂徠学における「道」の功利性を見いだすことができた。
論文目次 目次

序論 ………………………………  1

第一章徂徠学における「道」の諸特徴…………………………………… 10

第一節 「先王の道」における「端」 ………… 10
第二節 「道」と「物」 ……………………………… 19
第三節 「道」と「人情」……………………………………28

第二章 陳亮と徂徠の公私観と徂徠学における対概念 ………37

第一節 陳亮の「公私合一」と徂徠の「公私は各其の所あり」 …… 37
 第二節 徂徠学における「君子」と「小人」…………………44
第三節 徂徠学における「天理」と「人欲」………………48

第三章 陳亮の学説と徂徠学における「王道」と「覇道」……54           

第一節 陳亮の「王覇義利」の弁…………………………………54
第二節 徂徠学における「王道」と「覇道」…… ………………60
第三節 陳亮と徂徠との「王覇の弁」の比較……………………67


結論 ………………………………………………………………… 70

参考文献 ……………………………………………………… 75
參考文獻 日本語の部

単行書

丸山真男 『日本政治思想史研究』東京大学出版会 1952
尾藤正英『日本封建思想史研究-幕藩体制の原理と朱子学的思惟』青木書店1961
源了圓『徳川合理思想の系譜』中央公論社 1972
吉川幸次郎 丸山真男 尾藤正英編集『荻生徂徠』(日本思想大系三十六)岩波書店 1973
吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』岩波書店 1975
田原嗣郎『徳川思想史研究』未来社 1976
衣笠安喜『近世儒学思想史の研究』 法政大学出版局1976年初版
岩橋遵成『徂徠研究』今泉誠文社 1982
尾藤正英『荻生徂徠』 中央公論社 1983
川原秀城 池田末利編輯『荻生徂徠全集』 みすず書房 1987
王家驊 『日中儒学の比較』六興出版 1988
田原嗣郎『徂徠学の世界』 思文閣出版社 1991
山下龍二『朱子学と反朱子学』研文社 1991
今中寛司『徂徠学の史的研究』 東京大学出版会1992
相良 亨『日本の儒教』ⅠとⅡ ぺりかん社 1992
島田虔次 『朱子学と陽明学』 岩波新書 28刷1999年
黒住 真『近世日本社会と儒教』ペりかん社 2003
渡部浩『近世日本社会と宋学』東京大学出版社 2010
高島 俊男 『明治の荻生徂徠』  『漢字雑談(68)』46-49 講談社 2015
藍弘岳『漢文圏における荻生徂徠 : 医学・兵学・儒学』東京大学出版会 2018




論文
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徳重公美「荻生徂徠における道徳の意義-『中』の概念をめぐって」、『人間文化創成科学論叢』第11巻 所收(東京:お茶の水女子大学大学院『人間文化創成科学論叢』編集委員会、2008年)4-1~8頁。
徳重公美「荻生徂徠における『道』」、『比較日本学教育センター研究年報』第7号所收(東京:お茶の水女子大学比較日本学教育センター、2011年3月)p179-183
陳貞竹「荻生徂徠における礼楽論の展開-朱熹礼楽論の受容と変容をめぐって」『東洋音楽研究』77所收(東京:東京音楽研究、2011年)p1-19
田尻尚文「荻生徂徠の政治思想-四書注釈を中心として-」『大学院研究年報』第41号所收(東京:中央大学、2012年2月)p1070-1079
黄于菁 「荻生徂徠の『礼義』思想について」『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報 (10)』 所收, 115-120, 2014-03
于 婷芳 「『徂徠先生答問書』における荻生徂徠の『礼楽』思想」 『思想史研究 (22) 』所收、 53-74、 2015-11
趙瑋 「荻生徂徠『大學解』における朱子學批判について」『北海道大学文学研究科研究論集』 所收 2016-01-15
坂本 頼之「徂徠における自然観とその展開」『国際哲学研究 = Journal of international philosophy (6)』 所收、 123-136、 2017-03  
  
中国語の部
単行書
陳亮 《陳亮集》中華書局 1974
孫 小春《王霸義利之弁述論》  中華書局  1992
劉梅琴 王祥齢著 傅偉勲 韋政通主編 《世界哲学者叢書之荻生徂徠》 東大図書公司 印行 1999
田浩 《功利主義儒家——陳亮対朱熹的挑戦》 江蘇人民出版社  1997
竜念 解光宇 主編 《朱子学研究》 安徽大学出版社 2008
論文使用權限
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