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系統識別號 U0002-2208200613531900
中文論文名稱 樺山資紀之『臺灣記事』──臺灣出兵前夜──
英文論文名稱 The Time Before Japan Dispatched Troops to Taiwan Depicted by Kabayama Sukenori’s “The Taiwan's Description Report”
第三語言論文名稱 樺山資紀の『臺灣記事』--台湾出兵前夜--
校院名稱 淡江大學
系所名稱(中) 日本研究所碩士班
系所名稱(英) Graduate Institute of Japanese Studies
學年度 94
學期 2
出版年 95
研究生中文姓名 墜如敏
研究生英文姓名 Ru-Min Juey
學號 689050168
學位類別 碩士
語文別 日文
口試日期 2006-06-13
論文頁數 246頁
口試委員 指導教授-齋藤司良
委員-陳伯陶
委員-蔡錦堂
委員-齋藤司良
中文關鍵字 樺山資紀  臺灣記事  樺山資紀日記  臺灣出兵  牡丹社事件  琉球  薩摩 
英文關鍵字 Kabayama Sukenori  "The Taiwan's Description Report"  "The Diary of Kabayama Sukenori"  Japan Dispatched Troops to Taiwan  The Mutan Village Incident  Taiwan  Ryukyu  Satsuma 
第三語言關鍵字 樺山資紀  台湾記事  樺山資紀日記  台湾出兵  牡丹社事件  琉球  薩摩 
學科別分類 學科別社會科學區域研究
中文摘要 1871(同治10・明治4)年11月,一艘結束向琉球王國中山王進貢的宮古島進貢船於回程途中漂流至臺灣的東南部,上岸的人員中有54人不幸地慘遭當地排灣族先住民(高士佛社、牡丹社)的殺害。適逢日本明治維新期,日本政府為了能夠跟西洋諸國並列其驅、致力解決德川幕府末期以來的條約改正諸問題,陸續派遣柳原前光、副島種臣等人前往清國交涉修訂「中日修好條規」,藉以泯除歐美各國對於中日同盟的疑慮及刪除原條約中的不平等條文以達到與其他國家同等的國際地位。當琉球民在臺灣的遭難事件消息傳回日本的同時,柳原前光在清國取得了臺灣「番人」為「化外之民」的清朝官吏的推託之辭。而此時的日本國內,向來與琉球有著密關係的薩摩(日後的鹿兒島縣),因為自1609年入侵琉球以來,即將琉球王國納入其屬地,因此在得知琉球人民遭到臺灣先住民殺害時,從薩摩至東京立刻掀起撻伐臺灣的輿論,而其中最為引人注目的就是1895(光緒21・明治28)年臺灣成為日本殖民地時擔任第一任臺灣總督的樺山資紀。
樺山資紀在得知琉球民的臺灣遭難事件的消息後即刻啟程前往東京,向陸軍省提出嚴懲臺灣「番民」之議,並在西鄉隆盛等有力人士的支持之下,得到日本太政官下達的正式命令,被派遣前往清國與臺灣從事視察活動。透過樺山的日記——『臺灣記事』,可以明白身為薩摩軍人的樺山如何以不同角度來看待此一事件。
本論文旨在以『臺灣記事』的作成時間為縱軸,樺山的空間移動與當代臺灣的動向為橫軸,交織織出樺山的第一次臺灣踏查與第二次臺灣踏查。藉由樺山遍及淡水、基隆、宜蘭、南澳、高雄、屏東、臺南,乃至臺灣西半部的足跡的臺灣踏查以及他身為軍人的獨特視野來闡明1874(同治13・明治4)年日本出兵臺灣前的種種跡象。本文特別針對地政關係、外國人足跡、清朝官吏、戰術・戰略的見解等四大方向加以解說。加以說明臺灣事件造成長期為清朝、東亞秩序的華夷思想與朝貢體制之崩壞和此事件引起日後的琉球處分以及日本往後的對外侵略之影響。並藉由舊照片來突顯出臺灣的往昔、最後輔以與本文相關的『臺灣記事』之摘要及年表,以供參考。
英文摘要 In November 1871, after a tributary boat of Miyako Island offered up tribute to the Ryukyu Emperor, it drifted to the southeastern coast of Taiwan on its return voyage. Among those landing the coast, 54 were killed by aborigines from Kaoshihfo and Mutan villages. This incident took place just during the Meiji Restoration time when the Government devoted to solve various problems since the last days of the Tokugawa shogunate by dispatching Iwakura-envoy to the western countries,Yanagihara Sakimitsu and Soejima Taneomi to Qing Dynasty to revise “a treaty of amity between Sino-Japanese”.To clear the Western countries’ doubts of an alliance between Sino-Japanese , and to achieve an advantage over Qing Dynasty in concluding treaties. The scandalous news of Taiwan reached Ryuku and Tokyo. Yanagihara accused the Qing government for the affairs in Taiwan. However, the Qing government, to oppose this accusation quited Taiwanese Aborigines as “uncivilized people,” and denied the responsibility. And for this statement made by Qing, Japanese took action to punish the aborigines of Taiwan.At the time when this affair reached Japan, the people of Satsuma believed they had the right to solve the problems of Ryukyu and punish the Aborigines of Taiwan.
 After Kabayama Sukenori was informed of this news, he starts on a journey to go to Tokyo immediately , to the Department of War. To suggest punishment towards the Taiwanese Aborigines. He received the order from Dajyoukan, and was dispatched to Qing and Taiwan to Investigate this affair. Interestingly, 20 years later, in 1895 Kabayama was named the first governor of Taiwan as a Japanese colony. In probing through the diary of Kabayama——“The Taiwan's Description Report”. One may understand how the event was reflected in different viewpoints of Satsuma Officials, and Kabayama Sukenori.
 The purpose of this thesis is to take “The Taiwan's Description Report” to make the time as the ordinate axis, and Kabayama’s migration and the contemporary Taiwan's trend as abscissa axis and intertwine. Kabayama’s first Taiwan reconnaissance and the second Taiwan reconnaissance. To expound the 1874 Japanese Dispatch of Troops to Taiwan, through Kabayama’s unique field of vision and he’s precise survey. Especially he’s aims at the land administration relations, the foreigner trail, the Qing Dynasty government official, and the tactical strategy opinion on orientations illustrated. Explaining it’s incident of tributary system and its collapse, Sino centrism, Ryukyu disposal as well as influence of the Japanese in the foreign aggression. Finally with Taiwan’s photos and thesis correlation with “The Taiwan's Description Report” and chronological table is supplied as reference.
第三語言摘要 1871年11月、琉球王国の中山王への進貢を終えた宮古進貢船は、帰国の途中に台湾の東南部に漂着した。上陸した人々のうち54名が当地の先住民であるパイワン族(スクスク社・牡牡丹社)に殺害された。明治維新を迎えたばかりの日本政府は、西洋諸国と同じ国際地位に追いつくため、または徳川幕末以来の諸国との間に結んだ不平等条約を改正しようとして岩倉使節団や、清国へは柳原前光や副島種臣などを派遣した。そして、清国に対して「日清修好条規」批准前に条約の修正を求め、以て、欧米諸国の日清同盟の疑惑を解消した。更に条文の不平等な内容を改正し、ほかの諸国との同様の国際地位を獲得しようとと企てた。琉球民遭難事件が日本に伝ったとき、柳原前光は清国で清官吏から台湾の「蕃人」は「化外の民」の言質を得た。これと同時に日本国内に於いては、琉球と親密な関係を持つ薩摩が、1609年に琉球侵入から、ずっと琉球を自国の属地と見做していたため、この情報に接して忽ち薩摩から東京まで台湾蕃民を懲罰する輿論が沸いていた。最も注目されるのは、初代台湾総督の樺山資紀である。樺山資紀は琉球民遭難事件の情報に接して、即時東京まで出頭し、陸軍省に台湾蕃人を懲罰する意見を提出した。また西郷隆盛などの有力者の支持を得、太政官より正式に清国台湾を視察する命令を受けた。樺山の日記――『臺灣記事』を通して、薩摩軍人である彼はどのように他人と異なる観点でこの事件に対処、行動したかを明らかにする。 本論文は『臺灣記事』の作成された時間を縦軸にし、樺山の空間移動と当時の台湾の動きを横軸にして、樺山の第一次台湾踏査と第二次台湾踏査を構成する。樺山の台湾各地に及んだ足跡である台湾踏査と彼の独特な視野を通して、1874年の台湾出兵前夜を闡明する。特に地政関係、外国人の足跡、清国官吏、戦術・戦略的見解について論ずる。更に台湾事件が清国・東亞秩序の華夷思想と朝貢体制の崩壊、及び琉球処分と後の日本の対外侵略への影響を説明する。また図を通して昔の台湾を描写し、『臺灣記事』の抜粋及び年表を付録とする。
論文目次 目    次
序論 1
第一節 研究動機と目的 1
第二節 先行研究 3
第三節 研究範囲、方法と制限 6
第四節 研究構成、内容 7
第一章 近世日本の南方経営 9
第一節 日本の南方経営 10
一、 琉球をめぐる紛争 10
二、 台湾での活動 13
(一) 豊臣秀吉の「高山国招諭文書」 13
(二) 江戸時代の台湾活動 17
第二節 薩摩・琉球・清国との関係 22
一、 「琉球」説 22
二、 冊封体制 29
(一) 明・清の冊封体制 30
(二) 冊封体制と日本 32
(三) 冊封体制と琉球 35
(四) 冊封体制の崩壊 40
第三節 薩摩の南方経営 42
 一、 琉球における薩摩の経営 42
(一) 慶長の役の前の薩琉関係 42
(二) 慶長の役と薩摩入り 45
(三) 慶長の役の後の薩琉関係 55
 二、 台湾における薩摩の経営 56
第二章 樺山資紀の『臺灣記事』 58
第一節 台湾遭難事件 58
 一、 事件の事前検証 58
 二、 台湾遭難事件の経緯 60
 三、 救助後の送還 65
 四、 遭難事件の情報の流れ 66
第一節 日本の國内情勢 71
 一、 開国 71
 二、 明治初期の外交政策 74
(一) 華夷秩序の崩壊と国際公法 74
(二) 明治維新後の対外状況 78
(三) 日清修好条規 79
(四) 征韓論と征台論 87
(五) 台湾出兵発動 89
第二節『臺灣記事』解題と樺山資紀が台湾着前の行動 94
一、『臺灣記事』解題とその構成 94
(一)『臺灣記事』と『樺山資紀日記』 94
(二)『臺灣記事』の構成 97
 二、 東京における樺山の行動 99
第三章『臺灣記事』に見る樺山資紀の第一回台湾踏査 101
第一節 地政関係 103
一、 淡水 103
 二、 雞籠 108
 三、 噶瑪蘭・蘇澳・南澳 111
第二節 外国人の足跡 121
 一、 淡水の外国人 121
二、 東部開拓に関わる外国人 127
第三節 清国官僚と戦術・戦略的見解 133
 一、 清国官僚 133
 二、 戦術・戦略的見解 134
第四章 『臺灣記事』に見る樺山資紀の第二回台湾踏査 136
第一節 地政関係 137
 一、 打狗 137
 二、 琅(山喬)地方 143
第二節 外国人の足跡 148
 一、 外国人官吏 148
(一) イギリス領事ゴグレイ 148
(二) 税関・商人等 153
 二、 宣教師・探険家・教師 156
第三節 清国人関係と戦術・戦略的見解 158
一、 清国人関係 158
 二、 戦術・戦略的見解 159
第五章  台湾出兵・和解 163
第一節 台湾出兵 163
 一、 激戦地石門の戦 163
 二、 新聞の挿絵に見た台湾出兵 168
第二節 大久保の使清と樺山の見解 175
一、 大久保利通の使清と条約締結 175
二、 樺山の見解 179
三、 事件後の和解 186
(一) 遭難者を救助した人々 186
(二) 牡丹社事件、130年後の和解 192
結論 195
参考文献 199
付録一 台湾事件関係資料論文集リスト 210
付録二 国立国会図書館 樺山資紀文書目録 211
付録三 台湾初期武官総督表 212
付録四 薩摩島津氏系譜 213
付録五 石門竹社楓港三社侵攻図 215
付録六 年表 216
付録七 『臺灣記事』抜粋(清国調査を含まず) 221
図 の 目 次
図1-0-1 現在の薩南諸島 9
図1-1-1 豊太閣の「高山招諭文書」(前田侯爵家所蔵) 14
図1-2-1 鄭若曾『琉球図説』の「琉球国図」 27
図1-2-2 勘合符 31
図1-2-3 十四世紀頃の東亞 32
図1-2-4 十四世紀∼十六世紀の琉球王国の主要交易ルート 37
図1-2-5 琉球中山王両使節登城行列図(琉球使節の江戸上り) 39
図1-2-6 冊封使行列図(首里城に向う中国の使節) 39
図1-3-1 島津義久発給の琉球渡航免許朱印状 42
図1-3-2 朱印船貿易の航路 45
図1-3-3 1609(慶長14)年の薩摩藩の琉球攻略図 51
図1-3-4 掟十五條 53
図1-3-5 島津斉彬 56
図2-1-1 日本統治時代の四重渓温泉 63
図2-1-2 楊友旺 64
図2-2-1 米国東洋艦隊司令長官マシュー・ペリー 71
図2-2-2 アメリカ東インド艦隊の「ミシシッピ」号 72
図2-2-3 アメリカ東インド艦隊の「ポーハタン」号 72
図2-2-4 アメリカ東インド艦隊の「サラトガ」号 73
図2-2-5 アメリカ東インド艦隊の「サスケハナ」号 73
図2-2-6 岩倉具視 78
図2-2-7 大江卓 83
図2-2-8 副島種臣 84
図2-2-9 薩摩の侍たち 87
図2-2-10 台湾蕃地事務局長官辞令 88
図2-2-11 1867(慶応3)年、長崎で外人の撮影せるもの 89
図2-2-12 『東京日日新聞』所載(1874年5月15日)台湾図 90
図2-3-1 『東京日日新聞』所載(1874年5月15日)台湾図 90
図2-3-2 国立国会図書館所蔵する樺山資紀の「台湾記事」の原本 95
図2-3-3 藤崎濟之助寄贈印 96
図2-3-4 『樺山資紀日記』第一稿 97
図2-3-5 『樺山資紀日記』第二稿 98
図2-3-6 『樺山資紀日記』第三稿 98
図2-3-7 『樺山資紀日記』第四稿 99
図3-1-1 2005年再開放された淡水紅毛城 105
図3-1-2 日本統治時代の淡水港 106
図3-1-3 日本統治時代の台北市栄町通の「亭仔脚」風景 108
図3-1-4 日本統治時代の淡水市街 108
図3-1-5 日本統治時代の基隆港 112
図3-1-6 烏石港の遺跡 115
図3-1-7 烏石港の遺構 115
図3-1-8 噶瑪蘭と蘇澳地縁略図 116
図3-1-9 明治8年建立した宜蘭孔子廟 117
図3-1-10 日本統治時代の蘇澳港 118
図3-1-11 1930年代の蘇澳白米橋から望む蘇澳街 120
図3-1-12 今日の白米甕碑 121
図3-2-1 ピートルの墓 127
図3-2-2 ピートルの息子Bikign-Guel(1853~1926)の墓 127
図4-1-1 日本統治期の高雄港その一 142
図4-1-2 日本統治期の高雄港その二 141
図4-1-3 日本統治時代の半屏山 143
図4-1-4 日本統治時代の車城近傍の龜山 148
図4-2-1 打狗港の哨船頭 151
図5-1-1 四重渓の石門 167
図5-1-2 台湾新聞牡丹征伐石門進撃 171
図5-1-3 戦地から弟の霊還る 172
図5-1-4 東台戦死の篇者 172
図5-1-5 東台戦記の記者 175
図5-1-6 吟翁が同社の硯友 175
図5-3-1 大日本琉球藩民墓 190
図5-3-2 大日本琉球藩民五十四名墓の墓碑 191
図5-3-3 大日本琉球藩民五十四名墓の墓碑の 191
図5-3-4 統埔にある琉球遭難民の墓 192
図5-3-5 墓碑の下に書かれた琉球遭難民の氏名 192
図5-3-6 もと「石門古戦場跡の記念碑」 193
図5-3-7 もと「西郷都督記念碑」 193
図5-3-8 牡丹社事件簡略 194
図5-3-9 牡丹郷の入り口にある牡丹社事件記念「牌坊」 194

表 の 目 次
表1-1-1 「高山国招諭文書」原文と読み下し文 15
表2-1-1 生還者氏名 68
表2-1-2 遭難者氏名 68
表2-3-1 『臺灣記事』の構成と比率 99
表3-2-1 淡水イギリス領事一覧表 124
表5-1-1 攻撃時間表 168
參考文獻 参考文献

日本語の部(五十音順)

一、辞書
朝尾直弘ら編、『角川 新版日本史辞典』、東京:角川書店、1996年11月20日。
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沖縄大百科事典刊行事務局編、『沖縄大百科事典』(全三巻)、沖縄:沖縄タイムス社、1983年5月30日。
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昭和出版研究所編、『日本大百科事典』(全十四巻)、東京:小学館、昭和40(1965)年6月25日∼昭和44(1969)年1月25日。
高野義夫、『日本地名大辞典』(全六巻)、東京:日本図書センター、昭和12(1937)年10月26日∼1996年1月25日。
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野上毅編、『朝日百科 日本の歴史』(全十二巻)、東京:朝日新聞社、1989年4月8日。
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諸橋轍次、『大漢和辭典』(全十三巻)、東京:大修館書店、昭和61(1986)年9月修訂版第七刷。
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石井進ら著、『詳説日本史』、東京:山川出版社、2002年4月4日。
伊地知貞馨、『沖縄志』、明治10年3月22日(高野和人編;原口虎雄・原口泉監修・解題、
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伊地知貞馨、『沖縄志略』、明治11(1936)年5月7日、東京:著者出版。
伊藤潔、『台湾』(中公新書1144)、東京:中央公論社、1998年12月5日。
伊藤博文、『秘書類纂 外交篇』上巻(全三巻)(明治百年史叢書)、東京:原書房、昭和
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伊能嘉矩、『臺灣文化志』中(全三巻)、東京:刀江書院、昭和3(1928)年。
岩生成一、『日本歴史 14 鎖国』(全二十六巻+別巻五)、東京:中央公論社、昭和41(1966)年3月15日。
益軒會編纂、『扶桑記勝』巻之八、東京:益軒全集刊行部、明治44(1911)年8月31日。
大隈重信、『大隈文書』(全五冊)、東京:早稲田大学社会科学研究所、1958年-1962年。
岡義武、『近代日本政治Ⅰ』、東京:創文社、1962年。
小熊英二、『〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』、
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小沢健志編著、『新版写真でみる幕末・明治』、東京都:世界文化社、2002年4月30日初版第二刷。
海軍省編、『明治七年 臺湾事件輯錄』、出版地不詳:出版者不詳、明治7(1874)年。
外務省監修・日米通信社編、『日本外交百年小史』、東京:山田書房、昭和29(1954)年3月1日。
外務省編、『外地法制誌』4(全十三巻)、東京都:文生書院、平成2(1990)年(昭和35(1960)年1月の外務省条約局法規課編、『律令總覽』(「外地法制誌」第三部の二)の原本より復刻)。
外務省編、『日本外交文書』第7巻、東京:日本国際連合協会、昭和24(1949)年。
外務省編、『日本外交文書』明治年間追補第一冊、東京:日本国際連合協会、昭和38(1963)年2月28日。
樺山愛輔、『父・樺山資紀』(伝記叢書44)、東京:大空社、昭和63(1988)年6月20日。
樺山資紀、『樺山資紀日記』写し本、台湾分館所蔵。
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宮内庁編、『明治天皇紀』第3巻(明治6年―明治9年)(全十三巻)、東京:吉川弘文館、1968年∼1977年。
黒板勝美・國史大系編集會編、『続日本紀』前篇(新訂増補國史大系〈普及版〉)、東京:吉川弘文館、平成元(1989)年3月20日。
黒板勝美・國史大系編集會編、『日本書紀』後篇(新訂増補國史大系〈普及版〉)、東京:吉川弘文館、昭和63(1988)年6月10日。
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坂本多加雄、『日本の近代2 明治国家の建設1871-1890』、東京都:中央公論社、1999年1月10日。
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高良倉吉、『琉球王国』(岩波新書261)、東京:岩波書店、1997年4月15日第七刷。
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西嶋定生、「東アジア世界と冊封体制――六-八世紀の東アジア――」、『中国古代国家と東アジア世界』、東京:東京大学出版会、1983年8月15日。
日本史籍協会編、『大隈重信関係文書』(全六冊)、東京:日本史籍協会、昭和7(1932)年∼昭和9(1934)年。
日本史籍協会編、『大久保利通日記』2(全二冊)、東京:北泉社、1997年7月28日。
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三、論文・評論・新聞雑誌
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四、インターネット

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「近代日本人の肖像」http://www.ndl.go.jp/portrait/index.html。
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「暦全書on Internet」(行政歴史研究会)http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/koyomi/index.htm。
「財団法人交流協会研究東京センター所蔵報告書データベース」http://www.koryu.or.jp。
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「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」http://ja.wikipedia.org。
「三菱広報委員会」三菱史料館http://www.mitsubishi.or.jp。
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中国語の部(書画順)

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吳文星、「東京帝國大學與臺灣「學術探檢」之展開」『臺灣史研究一百年:回顧與研究』(、
黃富三・古偉瀛・蔡采秀編)、台北南港:中央研究院台灣史研究所籌備處、1997年12
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張良澤、「明治前期的台灣關係書誌」、『台灣史料研究』創刊号、台北:吳三連台湾史料基金
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張有興、「日酋樺山資紀與日本侵台――樺山出任首任臺灣總督之背景」、『臺灣文獻』第33巻第2期、台中:臺灣省文獻委員會、1982年6月30日、頁129-154。
陳文添、「豐臣秀吉諭「高山國」文書」、『臺灣文獻』第54第1期別冊4、南投:国史館臺
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陳枝烈、「多元文化教育的觀點」、『原住民教育季刊』第35期、台東市:國立台東大學原住民教育研究中心、2004年8月、頁109-128。
陳翼漢、「歴史與文化資産之於「過去」」、『博物館學季刊』第18巻第2号、台中:国立自然科學博物館、頁79-94。
楊南郡、『臺灣百年花火 清末日初台灣探險踏察實録』、台北:玉山社、2002年。
葉振輝、「淡水英國領事館的設置」、『臺灣文獻』第38巻第4期、南投:台湾省文獻委員会、
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潘朝陽、「從牡丹社事件談台灣人的皇民化意識 牡丹社後人向琉球人致歉背後的荒謬」、『海
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黎造時、「琉球地位演變研究」、台北:国立台湾大学政治学研究所碩士論文、1978年6月。
劉序楓、「清代遭風漂台之外国船難事件研究――以琉球、日本、朝鮮難民処理事例為中心
(2000年度財団法人交流協会日台交流センター歴史研究者交流会専業報告書)、2001
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四、インターネット

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「台灣的舊地名」(國語日報)http://www.mdnkids.com/oldplacename/index.html
「台灣社區通」http://sixstar.cca.gov.tw/index.php
「枋山郷資訊服務網」http://www.pthg.gov.tw/chinese/town/PTT33/default.asp
「兩千年中西暦転換」(中央研究院)http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/sinocal/luso.html
「淡水川遡源数位博物館」http://mars.csie.ntu.edu.tw/tamsui/index.html
「番社采風図」(中央研究院)http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/taiwan/index.htm
「臺灣文獻叢刊資料庫 臺灣方志」(中央研究院)http://140.109.185.220/data.html
「臺灣地區地方文獻影像資料庫」http://twinfo.ncl.edu.tw
「漢籍電子文獻」(中央研究院)http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/
「歷史月刊電子報」http://paper.udn.com/udnpaper/PII0002/44686/web/
「墾丁國小郷土教室 恆春半島簡介」(屏東縣墾丁國小) http://www.ktps.ptc.edu.tw/kt/
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