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系統識別號 U0002-1507201414060800
中文論文名稱 梁啟超研究:從日本的受容
英文論文名稱 Study of Liang Qichao :The acceptance of Japan
第三語言論文名稱 梁啓超研究:日本からの受容
校院名稱 淡江大學
系所名稱(中) 日本語文學系碩士在職專班
系所名稱(英) Department of Japanese
學年度 102
學期 2
出版年 103
研究生中文姓名 蘇敬智
研究生英文姓名 Ching Chih Su
電子信箱 didi0918519973@msn.com
學號 700100166
學位類別 碩士
語文別 日文
口試日期 2014-06-16
論文頁數 84頁
口試委員 指導教授-富田哲
委員-野村幸一郎
委員-齋藤司良
中文關鍵字 梁啟超  戊戌變法  時務報  清議報  日文  和製漢語 
英文關鍵字 Liang Qichao  Hundred Days' Reform  Shi Wu Bao  Qing Yi Bao  Japanese  Japan-made Chinese Words(wasei kango) 
第三語言關鍵字 梁啓超  戊戌変法  時務報  清議報  日本語  和製漢語 
學科別分類
中文摘要 經歷過鴉片戰爭之後,外國的知識跟技術被傳到了中國。因為外國侵略感受到危機感的中國文人們,開始學習外國的知識跟技術,推行了各式各樣的社會改革運動。梁啟超就是在這樣的時代中出生的人物。可是他在稱為戊戌變法的社會改革運動當中,經過約百天就推動了教育、人才選用、軍隊、翻訳、技術、立憲、除舊習、法律、交通等等方面的改革,我從以前就抱持著這樣的疑問,他到底是如何實施改革運動,還有他自身的改革理論是從哪裡獲得的。並且,梁啟超在發表過的「日本国志後序」、「読日本書目志書後」等等的文章中,主要都在討論國外的制度,特别是在「日本国志後序」中也提及了明治維新的內容,還有日本的改革方式、國家政策、學術用語等等。從這些方面來看,我認為戊戌變法的產生一定和日本改革制度有某種關聯。
由於1898年的戊戌政變,梁啟超逃亡到日本,在日本生活蠻長時間,並且接觸到許多日本書籍。我認為這段經歷一定對梁啟超的思想方面有某種影響。而另一方面,在最近的和製漢語的研究當中,提及梁啟超因逃亡到日本學習過日文,可以看到在他的文章當中有使用非常多的和製漢語。梁啟超的文章常常被當時的文人閱讀,似乎影響力並不小。因此,在梁啟超的文章當中出現的和製漢語應該對當時的中國文人有某些影響。
基於上述理由,本論文將透過梁啓超這個人物,探討他在逃亡到日本之後的思想是怎麼變化的。在本文當中將分成五章,也將會提及到在他的文章之中所看到的和製漢語的問題。筆者將會比較『時務報』和他逃亡到日本之後的『清議報』的言論,探討兩者之間的論述和當時梁啓超所參考的資料來源到底有哪裡不同。筆者想要考察日文對梁啓超的影響,還有在梁啓超的文章當中是如何使用和製漢語。而且,梁啓超為了讓中國人學習日文,還著作了『和文漢読法』這本書,裡頭解說了日文文法,以及倡導中國民眾去學習日文。筆者將會把這本著作當作參考提示,對於日文學習方面,梁啟超是抱有什麼樣的看法,以及在當時的社會裡日文的功用,梁啟超是有什麼樣的見解,筆者將想要探討這些內容。
英文摘要 After the Opium War, foreign knowledge and technology started to spread into China. Chinese Scholars who felt the crisis started to acquire them and tried to carry out social reform movement. Liang Qichao was the figure who was born in that time. He was one of the leaders who had advanced many reforms, such as on education, recruitment system, military, constitutionalism, old customs, law and transportation and so forth during Hundred Days' Reform. How did he advance those reformations and did he learn those theories of reformation?
Liang Qichao wrote articles like 「日本国志後序」,「読日本書目志書後」which mentioned about Meiji Restoration, reforms in Japan, national policy, nomenclature and so on. It is fair to say that fruits of Hundred Days' Reform would not be available without the knowledge of the reforms in Japan.
After the coup of 1898 by Dowager Empress Cixi, Liang Qichao defected to Japan. He had read many Japanese books while staying in Japan for many years. It is no doubt that this experience had some sort of impact on his thought. . On the other hand, the recent research of Japan-made Chinese words or Wasei Kango, revealed that many Wasei Kango can be found in those articles written by Liang Qichao. His writings were read widely among Chinese scholars and the influence was not small. Frequent appearances of Wasei Kango in Liang Qichao’s articles, therefore, should have some kind of effect to Chinese scholars.
In accordance with these reasons, this thesis is going to seek how his thought changed while staying in Japan. This thesis will be divided into five parts,. The author is going to compare his opinions on 『Shi Wu Bao』 and 『Qing Yi Bao』 to find out the difference, including his reference materials. The author is also going to seek how Japanese influenced Liang Qichao and how Wasei Kango were used in his articles. Liang Qichao authored a book titled Wabun Kandokuho for Chinese people learning Japanese. It explained Japanese grammar and advocated Chinese people to learn Japanese using the unique method which he thought up. The author is going to analyze this publication.
第三語言摘要  アヘン戦争を経て、外国の知識や技術が中国にもたらされるようになった。外圧により危機感をもつようになった中国の文人は外国の知識や技術を学習し、色々な社会の改革を行った。梁啓超はその変動の時代が生み出した人物である。しかし、彼は「戊戌変法」という社会改革の運動を行ったが、百日ぐらいで、教育、官吏の任用、軍隊、翻訳、技術、立憲、陋習、法律、交通などといった各方面での改革を推し進めた。彼がどのように改革の行動を行っていたのか、また、彼は自身の改革の理論をどこから得たのか、といった疑問を私はかねてより抱いていた。さらに、梁は、「日本国志後序」、「読日本書目志書後」などの文章を発表し、主に外国の制度について討論し、特に「日本国志後序」で明治維新の内容、また日本の道術、国政、文辞などについても論じている。 これらの点からみると、戊戌変法の発生はきっと日本の制度と何か関係があるはずである。
 1898年に戊戌政変により梁は日本に亡命し、日本で長い間で生活し、多くの日本書籍に触れた。こうした経験は必ず梁の思想に何か影響を及ぼしたと思う。一方、近年の和製漢語の研究は、日本に亡命して日本語を学習したことにより、梁の文章には和製漢語の利用が多く見られると述べている。 梁啓超の文章はその時代の文人に多く読まれ、影響力は小さくなかったと思われる。したがって、梁啓超の文章に出現した和製漢語は必ず中国の文人に何らかの影響を及ぼしただろう。
 以上の理由に基づいて、本論文では梁啓超という人物を通して、彼が日本に亡命した後の考え方がどのように変化したのかを探究する。本論は五章から構成され、彼の文章に見られる和製漢語の問題についても言及する。筆者は『時務報』と、日本に亡命した後の『清議報』の論説と比べ、両方の言説と梁の参考資料の内容がどこか違うかを探究したい。筆者は日本語がどのように梁の文章に影響したのか、または梁の文章に和製漢語がどのように使われているか考察したい。また、梁は中国人に日本語を学ばせるために、『和文漢読法』を著し、日本語の文法の解説、及び学習を中国の民衆に提唱していた。筆者はこの著作を手掛かりとして、梁が日本語の学習に対してどのような見方を持っていたのか、または当時の社会における日本語の功用に対してどのような見解をしていたのかを探究したい。
論文目次 第一章 序論........................................................1
第一節 研究動機と目的............................................1
第二節 先行研究と評価............................................2
(1)梁啓超に関する研究...........................................2
(2)注目すべき論点...............................................3
第三節 本論文の構成..............................................4
第二章 中国で社会改革を唱えた梁啓超................................6
第一節 西洋知識の啓蒙............................................6
(1)西洋知識に対する関心の萌芽...................................6
(2)西洋知識や日本の学問を学習し始めた梁啓超.....................7
第二節 改革的な論説を唱える......................................9
(1)『時務報』による改革的な論説の主張...........................9
(2)西洋派と日本派の議論........................................11
(3)日本から変法理論を吸収する..................................13
第三節 改革の実現の追求.........................................14
(1)朝廷への上書................................................14
(2)戊戌変法で改革を実現........................................14
(3)戊戌政変の始末..............................................18
第三章 日本で新学術を吸収した梁啓超...............................23
第一節 『清議報』の創刊.........................................23
(1)日本へ行った梁の改革運動....................................23
(2)日本語学習を提唱する梁......................................26
第二節 最新の日本の制度への関心.................................30
(1)最新の日本の政策の紹介......................................31
(2)日本書籍の推薦..............................................35
第三節 梁の政治主張の変化.......................................44
(1)孫文の革命派との対立........................................44
(2)『清議報』の停刊............................................46
第四章 梁啓超と日本和製漢語との関わり.............................53
第一節 梁啓超の文章での和製漢語の使用...........................53
(1)和製漢語の特徴..............................................53
(2)梁啓超の文章と和製漢語の対照................................58
第二節 中国文体への和製漢語の影響...............................64
(1)梁啓超より和製漢語の伝入....................................64
(2)清末の文人の和製漢語をめぐる論争............................67
第五章 結論.......................................................71
第一節 まとめ...................................................71
第二節 今後の課題...............................................73
参考文献...........................................................75
付録 飲氷室文集目録...............................................79


表目次

表1 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................35
表2 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................37
表3 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................39
表4 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................39
表5 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................40
表6 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................41
表7 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................41
表8 「東籍月旦」で紹介された日本書籍................................42
表9 梁啓超の主張の変化............................................ 48
參考文獻 (一)日本語関係(仮名順)

論文
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黄克武(2010)『惟適之安:嚴復與近代中國的文化轉型』聯經出版事業股份有限公司p125-127
黄遵憲(1898)『日本国志』浙江書局 巻32。
論文使用權限
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