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系統識別號 U0002-1207200700173000
DOI 10.6846/TKU.2007.00326
論文名稱(中文) 日治初期臺灣地方衛生行政 -以衛生組合為中心探討-
論文名稱(英文) The Local Hygienic Administration In Taiwan in the early Period of Japanese Colonial Rule - Focusing on The EiseiKumiai -
第三語言論文名稱 日本統治初期の台湾地方衛生行政 ―衛生組合を中心にー
校院名稱 淡江大學
系所名稱(中文) 日本研究所碩士班
系所名稱(英文) Graduate Institute of Japanese Studies
外國學位學校名稱
外國學位學院名稱
外國學位研究所名稱
學年度 95
學期 2
出版年 96
研究生(中文) 中山善史
研究生(英文) Yoshifumi Nakayama
學號 693050378
學位類別 碩士
語言別 繁體中文
第二語言別
口試日期 2007-06-28
論文頁數 146頁
口試委員 指導教授 - 冨田哲(114520@mail.tku.edu.tw)
委員 - 馬耀輝(mayouki@mail.tku.edu.tw)
委員 - 冨田哲(114520@mail.tku.edu.tw)
委員 - 楊素霞(daleyang@mail.stut.edu.tw)
關鍵字(中) 衛生組合
鼠疫
臺灣社會領導階層
在臺日本人
自治組織
關鍵字(英) Eiseikumiai
Plague
Taiwanese local elites
Japanese people in Taiwan
the local organization
第三語言關鍵字 衛生組合
ペスト
台湾人紳士層
在台日本人
自治組織
學科別分類
中文摘要
19世紀末之近代醫學的發達,尤其是顯微鏡、細菌學的發展使得引發傳染病的微生物因而被發現,從此確立了傳染病之治療法及預防法。日本統治殖民地臺灣正是細菌學的發展時期。日本佔領臺灣之前已遭遇到傳染病的流行,因此日本領臺後,醫療衛生在殖民地統治上成為重要的政策。領臺第2年之鼠疫的流行,對日本人而言亦是前所未有的傳染病,因此為了解決傳染病問題,進行了強制預防的措施,不過因為日本人與臺灣人的醫療衛生觀念不同,強制措施導致臺灣人對於總督府的醫療衛生措施產生反感,鼠疫防治對策面臨了困境。臺灣總督府於是利用長久以來臺灣的社會領導階層,灌輸他們防疫措施的重要,並設置衛生組合,試圖透過衛生組合普及臺灣人基層社會的公共衛生。
  衛生組合是1889(明治19)年於日本國內正式制度化的民間衛生團體,灌輸民間衛生思想,使民間積極參與衛生事務,保持自己居住地的清潔,進而預防傳染病蔓延的組織。臺北鼠疫流行以後,由各地臺灣社會領導階層及在臺日本人陸續設置衛生組合,總督府則期待衛生組合能夠扮演官民之間橋樑的角色。
  不過,至1901(明治34)左右,有些日本人的衛生組合以地方自治團體為目標成立「內地人組合」,將衛生事務移交給此團體,但由於一些日本人的有力者們相互之間爭奪權力等因素,造成此團體不僅衛生事務,連地方事務亦漫不經心,不久便宣告解散。另一方面以社會領導階層為主要成員的臺灣人的衛生組合以捐款的方式積極參與衛生事務,但他們基於中國傳統觀念來進行之衛生事務措施與總督府所推展的近代西洋醫學全然不同,因此臺灣人的衛生組合也不具有普及公共衛生的功能。
英文摘要
The end of 19th century, modern medical science became advanced, especially the microbe which cause infectious disease to be discovered, and the cure preventive method of infectious disease was established by the development of microscope and bacteriology. It was a time period of establishment of bacteriology when Japan colonizing Taiwan. Before Japan colonizes Taiwan, Japan was encountered infectious disease in Taiwan; after Japan colonized Taiwan, medicine and hygiene politics in Taiwan became to be important policy. But an epidemic of Plague in 2nd year after Japan colonized Taiwan, was also unknown infectious disease to Japanese, performing compulsion hygiene measure for in order to hold down that although, but it was caused antipathy of Taiwanese from the difference of medical hygienic conception between Japanese and Taiwanese, the Plague measure had a rough going; accordingly Taiwan “Sotokufu” (Governor-general of Taiwan) used the Taiwan local elites from Qing Dynasty, and help them to develop an understanding about prevention measure, and established “Eiseikumiai” (the Health Department), “Sotokufu” tried to familiarize public hygiene through the Health Department.
  The civilian group was established in Japan by 1889, which does hygienic work. It was an organization that educates hygienic idea to people, participates in hygienic work to people actively, or keeping the living area cleanliness in order to protect against infection. After an epidemic of Plague in Taipei, “Eiseikumiai” was installed one after another by Taiwan local elites and Japanese influential people in Taiwan at every place, “Sotokufu” expected “Eiseikumiai” as the intermediary between the government and people, and familiarizing to people public hygiene.
  Around 1901, the part of Japanese “Eiseikumiai” , aiming at the local autonomy, was formed“Naichijinkumiai” (the local organization), transferred hygienic work there. but the part of Japanese influential people contended for the power to the “Naichijinkumiai”, because of it,  hygienic work and local work became to negligent, and it had dissolved before long. On the other hand, the local elites of Taiwanese “Eiseikumiai” participate in hygienic work by contribution the money actively. But it was totally difference between doing the hygienic works by Taiwanese local elites and the public health which “Sotokufu” tries to familiarize in Taiwan, the “Eiseikumiai” did not become the supporter of the familiarizing of public health.
第三語言摘要 19世紀末の近代医学の発達、特に顕微鏡・細菌学の発展は、伝染病の原因である微生物を発見し、伝染病の治療法・予防法を確立させた。日本の台湾領有は将に細菌学の確立期に当たっていた。日本は台湾領有以前から台湾で伝染病の流行に遭い、領有後医療衛生は台湾植民地統治上重要な政策となった。しかし領有2年目のペストの流行は、日本人にとっても未知の伝染病であり、それを抑えるため強制措置を施したが、日本人と台湾人の医療衛生観念の違いから台湾人の反感を招き、ペスト対策は難航した。そこで台湾総督府は、清朝時代の台湾紳士層を利用し、防疫措置に対する理解を深めさせ、衛生組合を設置し、衛生組合を通して一般台湾人に対して衛生を普及させようと試みた。  衛生組合は、1889(明治19)年頃の日本国内で本格的に制度化された,民間で衛生事務を行う団体である。民間に衛生思想を注入し、積極的に衛生事務に関与させ、自らの居住区の清潔を保持し、伝染病予防をする為の組織である。台北のペスト流行以後、各地の台湾紳士層・在台日本人によって次々に衛生組合が設置され、総督府は衛生組合を官民の架け橋的存在、衛生の普及を図る担い手として期待した。  しかし、1901年頃になると、一部日本人の衛生組合は、地方自治団体を目指して「内地人組合」を成立させ、衛生事務をそこに移管したが、一部有力者による権力争い等で衛生事務はおろか、地方事務も疎かになり、自ら解散した。一方台湾人紳士層を中心とする台湾人の衛生組合は、献金等で積極的に衛生事務に参与するが、中国の伝統医学を基礎とした衛生事務などは、総督府の広めようとする公衆衛生とは異なり、衛生組合が公衆衛生の普及の担い手とはならなかった。
論文目次
目次

第一章	序論
第一節	研究動機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 
第二節	相關日治時期臺灣醫療衛生之研究探討・・・・・・・・・・ 3 
第三節	研究方法與範圍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 
第四節	本論結構・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 

第二章	日本佔領臺灣前的醫療衛生狀況
第一節	日本國內衛生行政之變遷・・・・・・・・・・・・・・・・8 
一.	衛生行政之形成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 
二.	衛生行政之擴張・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 
三.	「十九年的頓挫」與衛生組合・・・・・・・・・・・・・ 16 
四.	衛生組合之設置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19 
第二節	清代臺灣醫療衛生狀況・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 
一.	臺灣地方社會之形成・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 
二.	臺灣傳染病蔓延狀況與疾病概念・・・・・・・・・・・・ 24 
三.	醫療人才之教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27
四.	清代臺灣醫療設施・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30

第三章	殖民地衛生行政與民間
第一節	近代日本在臺灣傳染病經驗・・・・・・・・・・・・・・・ 34
一.	日本軍隊與傳染病蔓延・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
二.	臺灣總督府展開殖民地醫療衛生措施・・・・・・・・・・・ 37
三.	衛生顧問後藤新平與臺灣醫療衛生行政・・・・・・・・・・ 39
四.	臺灣鼠疫蔓延及應急防疫措施・・・・・・・・・・・・・・ 43
第二節	衛生組合之設置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47
一.	分析「衛生組合規則」・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47
二.	衛生組合成員・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50
三.	鼠疫蔓延狀況與全島衛生組合・・・・・・・・・・・・・・ 53
第三節	地方衛生行政與衛生組合・・・・・・・・・・・・・・・・ 58
一.	衛生組合轉為「町內事務所」・・・・・・・・・・・・・・ 58
二.	成立自治性團體之「內地人組合」・・・・・・・・・・・・ 61
三.	「內地人組合」解散後・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64
四.	臺灣人之衛生組合・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 66
五.	實施保甲制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 69
六.	衛生組合在殖民地社會之意義・・・・・・・・・・・・・・ 71

第四章	臺灣鼠疫防治對策與民間
第一節	日本國內與臺灣之鼠疫對策・・・・・・・・・・・・・・・ 75
一.	世界史當中的鼠疫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 75
二.	日本的鼠疫研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 76
三.	日本國內鼠疫對策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 79
四.	總督府之初期預防治療措施・・・・・・・・・・・・・・・ 82
第二節	總督府之鼠疫對策方針・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86
一.	高木友枝與「臨時臺灣防疫局」・・・・・・・・・・・・・ 86
二.	鼠疫對策之確立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 89
三.	鼠疫對策之實際問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 92
第三節	「百斯篤豫防組合」之成立・・・・・・・・・・・・・・・ 94
一.	民間對於鼠疫對策之態度・・・・・・・・・・・・・・・・ 94
二.	設置「百斯篤豫防組合」・・・・・・・・・・・・・・・・ 97
三.	「百斯篤豫防組合」之鼠疫對策・・・・・・・・・・・・・ 104
第四節	分析「百斯篤豫防組合」之實際作用・・・・・・・・・・・ 109
一.	捕鼠工作的徹底・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 109
二.	「百斯篤豫防組合」與捕鼠工作・・・・・・・・・・・・・ 111
三.	嘉義廳撲滅對策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 117
四.	「百斯篤豫防組合」轉為「防疫組合」・・・・・・・・・・ 118

第五章	結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 121

參考文獻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 125

附錄
日本與臺灣相關醫務衛生行政年表・・・・・・・・・・・・・・・ 134 

圖表目次

《表2-1》清代臺灣貧民救濟設施表・・・・・・・・・・・・・・・ 32
《表3-1》中日甲午戰爭期間瘧疾、赤痢、霍亂患者數・・・・・・・ 36
《表3-2》臺灣各地鼠疫患死者統計表1・・・・・・・・・・・・・ 54
《表3-3》1902年臺灣各廳衛生組合設置統計表・・・・・・・・・・ 57
《表4-1》自1900年至1901年臺南縣鼠疫預防接種成績表・・・・・ 83
《表4-2》自1896年至1901年鼠疫患者治療成績・・・・・・・・・ 85
《表4-3》1904年臺南血清治療成績表・・・・・・・・・・・・・・ 85
《表4-4》1903-1907年各廳捕鼠統計表・・・・・・・・・・・・・ 90
《表4-5》臺灣各地鼠疫患死者統計表2・・・・・・・・・・・・・ 93
《表4-6》1902-1907年臺北市街帶菌老鼠種類表・・・・・・・・・ 94
《表4-7》臺北百斯篤豫防組合組織表・・・・・・・・・・・・・・ 99-100
《表4-8》各廳百斯篤豫防組合數及設置區域・・・・・・・・・・・ 101-102
《表4-9》1908年臺灣縱貫鐵道車站表・・・・・・・・・・・・・・ 103
《表4-10》1908-1913年拆除鼠疫污染住宅統計表・・・・・・・・・ 108
《表4-11》臺南街自1907年9月18日至同年10月20日捕鼠器成績表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 110
《表4-12》捕鼠器種類成績表・・・・・・・・・・・・・・・・・ 110
《表4-13》1908-1915年各廳捕鼠與有菌鼠統計表・・・・・・・・・ 115
《表4-14》臺灣各地鼠疫患死者統計表3・・・・・・・・・・・・ 116
參考文獻
一 日文:(あいうえお順序)
 (1) 書籍:

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 (2) 期刊論文:

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尾崎耕司(1996)〈後藤新平の衛生國家思想について〉《ヒストリア》(《153號》大阪:大阪歷史學會) 12月

尾崎耕司(1997)〈1879年コレラと地方衛生政策の轉換―愛知縣を事例として―〉《日本史研究》(《418號》京都:日本史研究會)6月

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笠原英彦(2000)〈近代日本における衛生行政の變容―「十九年の頓挫」の實相―〉《法學研究》(《第73卷第4號》東京:慶應義塾大學法學研究會) 4月

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小島和貴(1996)〈日本衛生政策の形成をめぐる行政過程〉《法學政治學論究》(《第41號》東京:慶應義塾大學大學院法學研究科內「法學政治學論究」刊行會) 6月

小島和貴(1996)〈近代日本衛生行政における中央・地方關係―神奈川縣の事例を中心として―〉《政治經濟史學》(《第360號》町田:日本政治經濟史學研究所) 6月

小林道彦(1985)〈後藤新平と殖民地經營―日本殖民地政策の形成と國內政治〉《史林》(《第68巻第5號》京都:京都大學文學史學研究會)9月

坂口誠(2005)〈近代大阪のペスト流行,1905-1910年〉《三田學會雜誌》(《94卷4號》東京:慶應大學經濟學會) 1月

馬場義弘(1993)〈三新法期の都市行政-大阪の衛生行政を事例に-〉《ヒストリア》(《第141號 》大阪:大阪歷史學會) 12月

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臺灣醫學會發行《臺灣醫學會雜誌》(臺北)

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臺灣新報社(1896-1898)《臺灣新報》(臺北:莊東方文化書局,復刻1997)

臺灣時報北發行所《臺灣時報》(臺北)

臺灣統計協會(1898-1907)《臺灣統計協會雜誌》(臺北)

大日本私立衛生會《大日本私立衛生會》(東京:日本マイクロ寫真,復刻1991)

東都書籍會社北支店《民俗臺灣》(臺北)

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《臺灣總督府報》(明治29-大正10)

《臺北縣報》(明治29-明治32)

《臺北廳報》(明治35-明治44)
《鳳山廳報》(明治41)

《深坑廳報》(明治41)

《基隆廳報》(明治41)

《嘉義廳報》(明治41)

《臺南廳報》(明治35、明治41)

《斗六廳報》(明治41)

《臺灣總督府公文類纂》

 (4)網路資料:

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百尚德(2004)《英國長老教會傳教士與臺灣原住民族的接觸1865-1940》(臺北:順益博物館)

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劉寧顏總纂《重修臺灣省通志 卷二 土地志氣候篇》(南投:臺灣省文獻委員會,1995)

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 (2) 碩博士論文:

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呂哲奇(1999)〈臺灣衛生工程顧問技師爸爾登對臺灣城市近代化影響之研究〉(私立中原大學建築學系碩士學位論文)

呂明純(2002)〈日本領臺時期の衛生政策と公學校衛生教育〉(東吳大學日本語文學系碩士論文)

李欣芬(1989)〈基督教與臺灣醫療衛生的現代化-以彰化基督教醫院為中心之探討(一八九六~一九三六)〉(國立臺灣師範大學歷史研究所碩士論文)

吳文星(1986)〈日據時期臺灣社會領導階層之研究〉(國立臺灣師範大學歷史研究所博士論文)

范燕秋(1994)〈日據前期臺灣之公共衛生-以防疫為中心之研究(1895-1920)〉(國立臺灣師範大學歷史研究所碩士論文)

林素卿(1985)〈日本殖民體制下之臺灣鴉片政策研究〉(淡江大學日本研究所碩士論文)

張慶隆(1996)〈臺灣縱貫鐵道經營之研究-以「滯貨事件」為中心-(1895-1924)〉(國立政治大學歷史研究所碩士論文)

陳君愷〈日治時期臺灣醫生社會地位之研究〉(國立臺灣師範大學歷史研究所碩士論文,1991)

 (3) 期刊論文:

林炳炎(1997)〈重塑臺灣醫校長高木友枝博士的雕像〉《Academia-臺北帝國大學研究》(《第二號》臺北:臺灣大學臺灣研究社)

李尚仁(2004)〈醫學、帝國主義與現代性:專題導言〉《臺灣社會研究季刊》(《第五十四期》臺北:臺灣社會研究季刊)

范燕秋(1995)〈鼠疫與臺灣之公共衛生(1896-1917)〉《國立中央圖書館臺灣分館館刊》(《第1卷第3期》臺北:國立中央圖書館臺灣分館)

范燕秋(1996)〈醫學與殖民擴張-以日治時期臺灣瘧疾研究為例〉《新史學》(《七卷三期》臺北:《新史學》雜誌社編輯委員會)

范燕秋(1998)〈新醫學在臺灣的實踐(1898-1906)-從後藤新平《國家衛生原理》談起〉《新史學》(《九卷第三期》臺北:《新史學》雜誌社編輯委員會)
洪秋芬(1992)〈日據初期臺灣的保甲制度(1895-1903)〉《近代史研究所集刊》(《第21期》臺北:中央研究院近代史研究所) 6月

黃蘭翔(1995)〈日據初期臺北市的市區改正〉《臺灣社會研究季刊》(《第十八號》臺北:臺灣社會研究社)

落合泰蔵著 下條久馬一註 賴麟徵譯(1995)〈明治七年牡丹社事件醫治(上、下)〉《臺灣史料研究》(《第五、六號》臺北:財團法人吳三連臺灣史料基金會)

戴文鋒(1995)〈《海關醫報》與清末臺灣開港地區的疾病〉《思與言》(《第33卷第2期》臺北:思與言雜誌社)

蔡慧玉(1995)〈保正、保甲書記、街庄役場-口述歷史(李金鎮、陳榮松、陳金和)〉《臺灣史研究》(《第二卷第二期》臺北:中央研究院臺灣史研究所籌備處)

劉翠溶・劉士永(1997)〈臺灣歷史上的疾病與死亡〉《臺灣史研究》(《第四卷第二期》臺北:中央研究院臺灣史研究所籌備處)

劉士永(1999)〈一九三○年代以前日治時期臺灣醫學的特質〉《臺灣史研究》(《第四卷第一期》臺北:中央研究院臺灣史研究所籌備處)

劉士永(2001)〈「清潔」、「衛生」與「保健」-日治時期臺灣社會公共衛生觀念之轉變〉《中央研究院臺灣史研究》(《第八卷第一期》臺北:中央研究院臺灣史研究所籌備處)
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